誰かの勝手な言葉によって、その人の価値は変わらない

私が大切にしていることで是非シェアしたいことがあります。 

人から何か言われてすごく傷つくとき。
例えば「お前はおかしい」という言葉でも、言われた人は何も傷つく必要がない。ということを なぜ私が本気で思えているのか。

それは「言った人の中の価値観がそこに反映されているだけ」だから。
これは、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。 

例えば Aさんの中に 「人と違う タイミングで発言をする人は おかしい」という価値観があったとします。そうするとその人は 誰を見ても、人と違うタイミングで話している瞬間をめざとく発見します。
そして「これはおかしい」と自分の中で決めるのです。
それはAさんの価値観であって、言われている人は(毎回不特定の人間になります) 何の関係もない。
なぜなら 「人と違うタイミングで話すことは 面白い」あるいは「人と違うタイミングで話す人にこそ 学ぶところがある」など違う価値観を持っている人と出会った時には、そこには大抵何の問題もないのです。
むしろ興味を持って是非関わりたい、お前すごいな、そんな言葉にもつながるかもしれません。

このことから 何が言いたいかと言うと、「あなたは/お前は〇〇だ」などの言葉は、そのまま受け取る必要がない、という事です。
言われた方が、受け取りたければ受け取る。違和感があれば、受け取らなくてもいいのです。

「この人、そんな風に思うんだな。」
「へえ。面白い感覚してるな。」それでいいのです。
また「おかしい」というその言葉も一般化された言葉です。「おかしい」という言葉を使ってお互い異なる感覚、考えを伝えあっているかもしれない。
片方にとっては重大な意味だけれども、片方にとっては表面的な雑な言葉の一つにすぎないという可能性もあります。

だから傷つかないでということではありません。
嫌な言葉に傷つくのは当然ですよね。
そして、それは言われた人そのものに対する言葉じゃない。相手が捉えた何かの行動や言葉に対して、勝手に反応しているだけだということも、思い出してみましょう、という事です。
突然投げられた言葉に、自分自身を否定したり、悲しんだりする必要はない。
どうしても言われるのが嫌ならば、その行動や言葉をやめるという手もありますが、自分らしさ、素晴らしさを誰かのために消す必要があるかは疑問です。

どんな行動、言葉を選ぶかはその人の自由。
それを受けとるかどうかも自由です。
その人の素晴らしさは、誰かの勝手な言葉に出会ったところで、何も、変わることはないのです。私はそう思います。

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