人はこんなにも、一方通行の関わり方をしているのか!と思った話

今日は、コミュニケーションについて、ある時からずっと心にあること、です。
よろしければお付き合いください。

今年の2月ごろ、珍しく映画館で「鈴木家の嘘」という作品を見ました。
それは引きこもりの長男が命を終えるところから始まります。とはいえ、暗く重い作品ではなく、ところどころにユーモアがちりばめられた、後味も穏やかなストーリーです。


細部の記憶までは自信がないのですが、およそ次のように覚えています。
第一発見者の母親はショックで記憶をなくし、家族は長男が亡くなったことを言えずに嘘をつき続けます。
その軸となるストーリーと共に、両親と妹、それぞれが、もういない長男との関係性に苦しみ、悩み、やがて折り合いをつけていく、そんなストーリーが進んでいきます。

まだ死を知らない母親は、今も私の息子はこんな子、というイメージを、息子の人生に重ねて見ています。賢い我が子は、それなりの大学を出て、仕事に就く、という何らかの期待、願いと共にいます。

父親は、引きこもりの原因はうつだと思い込んで、「名医がいるから一緒に行こう。」と、生前の息子を説得し連れ出します。自分の中の考えを、疑いもせず息子に説き、引きこもる息子を何とかしようと必死でした。

妹は、理解できない思いを否定的な言葉でぶつけます。それでも何も言わない兄に暴言も吐きました。

父親も、妹も、もう何も言わない、なぜいなくなったのか知ることも出来ない兄の、過去の言葉、過去の表情を思い出し、なぜ、どうしてと苦しい時間を過ごします。

やがてそれぞれの想いが、時間をかけて、少しずつ、少しずつ、変化していきます。

映画館のシートに座っていた私は、何度も、胸がきゅうっと締め付けられるような気持になりました。
誰も、長男の想いを聴いていない、長男も、話していないと思いました。
家族それぞれの一方通行のコミュニケーションが見えました。

もしも、長男が誰かに本当の本当の気持ちを話せていたなら、
そしてその人が、その言葉や気持ちを大切に受けとめてくれていたなら、
長男は、最悪の結果を選ぶことはなかったのではないかと、そんな風に思うのです。

私たちは、いつの間にか身についていたコミュニケーションの方法で、
いつの間にか持っていた価値観に従って、
思うまま、相手のために精一杯の想いを伝えるときがあります。
そしてそれが、思ってもいないメッセージとなって、相手に届いてしまうときも。

本当はお互い思い合っているのに、伝え方の問題でお互いが苦しくなる。
それは、私も何年もやっていたことでした。

もし、様々な問題が重なり不登校、引きこもり、うつなどの問題を抱える人のそばにいる人が
適切なコミュニケーションの方法をとっていたなら、
きっと問題を抱える人の安全基地になることが出来ます。
今は心を開けずにいる人も、安心できる場があれば
ほっとして、やがて笑顔になることが出来ます。

一方通行のコミュニケーション、別の言葉で言えばミスコミュニケーションが
もし改善されたなら、余計な悩みや不安が軽減されることが期待できます。

そして、望ましいコミュニケーションで意欲が引き出されれば、
やがて行動するエネルギーにもなるでしょう。

日々のコミュニケーション次第で、意欲が生まれてくることも、失われてしまうこともあります。
これまで知らず知らずに、不安や悩みを大きくしてしまっていた時もあったかもしれません。
仮にそうだったとしても、そこが影響しているとしたら、
これまでのやり方を意識して変える事で、私たちは現状を変えていく事が出来ます。

「んだら、具体的にまずどうなのや~?」
訳(それじゃあ、具体的には まず どうなの?)
と言われましたら、
「なるべぐ、いっぱい話しきぐべー!」
訳(出来るだけ、たくさん話をききましょう!)
とお伝えしたい。そして
「話きかんねごんたら、まず出来るぐしていぐべ!」
訳(話をきけないようであれば、まず出来るようにしていきましょう!)

本日はここまでで、今後の記事へ続きます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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